アンリとティムと家族の記録
by mmyf
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新潟のおじさん
ゆずママさんのコメントを読んで思い出したことが‥

新潟の酪農農家の親戚のこと。
祖母の実家で小さい頃はよく祖母と一緒に泊まりがけで遊びにいっていました。
ものすごい田舎、家屋も築100年は経つ土塀作りでボロボロ、でも昔の作りなのでふすまを開け放つと広い畳がひろがりよく部屋で鬼ごっこをしてました。
そこは家族で酪農をしていたので敷地に牛舎をつくり20頭ほど飼っていました。
家の3メートル隣が牛舎ですからモ~ォモ~ォうるさいし、オシッコのすごい音も聞こえるし大きい方の落ちる音も‥
そこの子供達(中学と高校生で私よりもずっと年上)は夜明けと共に牛の世話をしてからじゃないと朝ごはんも食べさせてもらえない。帰宅後も牛の世話。
子供心に「農家には絶対にお嫁にはいかないもん」と思ってました。(笑)

祖母が亡くなってからはほとんど遊びに行くこともなかったけど小学校の高学年の頃に遊びにいった時は私も寝床に草を敷いたり排泄物の掃除をしたり手伝いました。
偶然、牛の出産に遭遇した時は村の獣医さんもきてましたけどおじさんの方が全然詳しくて
結局はおじさんが子牛を引っ張りだして無事でした、ちょっと尊敬しました。
(実は当時の私は頬に大きなホクロがあったおじさんが怖くてさけてました。)

酪農農家なのでメスが産まれるといいのですがオスだとかわいそうだけど売られていきます。
最初の頃はトラックに乗せられる牛(オスの子牛以外にも乳の出が悪くなってしまったコとか理由はいろいろですが)が物悲しく鳴いてトラックに乗るのを嫌がっているので「何をしてるんだろう?」と思ってました。(現在もそうなのかは分かりませんけど)
ある日それがそういう事だと知った時はショックでした。
「おじさんは人でなしだ」と思った時もありましたけど、一番悲しんでいるのは毎日世話をしていたおじさんやそこの家族なんだと気づきました。

生活がかかっているから世話にも気を使う。
伝染病になったら全頭を処分しなくていけないし、ちょっとしたミスが牛の命を消すことになる。
おじさんは自分の息子達にはそれは厳しく注意してました。
実際にミスからダメにした牛を目の当たりにして泣いていたおにいちゃんを見たこともあります。
ペットではなく仕事として動物を飼っている人達はいつも真剣勝負なんだと思いました。

そのおじさんも晩年は癌を患い酪農を長男に任せて引退しました。
母から病気の事を聞き、どうしても生きているうちに会いたいと思って小さな息子と娘を連れていきました。
家は相変わらずでしたが、あんなにいた牛達はいませんでした。
多くなったので別の場所に移動したそうです。
ガラ~ンとした牛舎はあれから何年も経ったことを気づかせてくれました。
息子には「昔はここに牛が沢山いてうるさかったんだよ~」などと聞かせても「ふ~ん」という感じ。でも2頭の子牛だけはいたのでそれには大喜び。
お兄ちゃんいわく「あれはオヤジのペット」だそうで、すっかり引退したとはいえやはりかわいい牛を側においておきたいというのでおいてやったそうだ。
おじさんはその子牛に餌をやり話しかけかわいがってました。
息子も昔の私のように教えてもらいながら子牛にミルクをやったり世話をしました。
広い畳の部屋もあの頃と同じように走りまわり、おじさんにも沢山将棋の相手をしてもらって
お兄ちゃんにはバトミントンをしてもらったり、たっぷりと遊んで思い出を作ってきました。
その年の暮れ、おじさんは癌で亡くなってしまいましたが、息子の記憶にはちゃんとおじさんと将棋したこと、牛の世話をしたことは残ってます。

私も仕事が忙しくいつもなら幼子を連れての電車での長旅は疲れるので敬遠していたのになぜかこの時は母を東京に呼んでそれから母と私と子供達で新潟経由で富山に帰るという無謀なコースをおもいついた。
あとで聞いたところ私達が行った頃が一番調子がよくその後からずっと入院をしていたそうですのできっとおじさんがよんだのだろうな~と思いました。
実はこの時娘はまだ2歳、記憶にはないはずなのにこの家で私のミスで大やけどを手首にしてしまい傷が残ってしまいました。(今は目立たなくなりましたけど)
おかげで娘もよく覚えてますし、その傷をみるとその時の事を鮮明を思い出します。
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by mmyf | 2006-01-31 12:28 | その他
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